昨年、古典作品がちょっとしたブームだった。
たとえば、光文社古典新訳文庫。ちくま日本文学といった名作を集めたシリーズの刊行。たとえば新宿区の夏目漱石生誕140年の記念事業なんてもあった。
で、すぐに影響される私は、早速ドストエフスキーの「罪と罰」を手にした。
が、影響されるのは早くても、読むのは遅い。遅々として進まず、年を越し、1ヶ月以上かかってやっと読み終えた。でも、最後は流し読み。
どこの文庫の帯だったか失念してしまったが、作家の金原ひとみさんは、後半は3日で読み終えてしまったというコピーがあった。私にはできなかった。
高校の頃、産休教員の代行で来ていた若い教師が「罪と罰」を絶賛していた。でも、当時の私はなんと1ページで止めてしまった。トルストイの「アンナ・カレーニナ」も同じだった。と言って、ロシア文学が苦手なわけではなかった。トルストイの「幼年時代」「少年時代」「青年時代」「戦争と平和」は衝撃的で、高校3年間の私の最も大事な本だった。ツルネーゲフも好きだった。
話が逸れてしまった。
「罪と罰」は、熟読し、丁寧に読み解いていけば、ロシア文学特有の深みのある作品だと思う。心理劇でもあり、推理小説でもあり、構成も見事で、エピソードが一つ一つ互いに絡み合う。文章も無駄なものはなく、一文一文に簡潔に複数の事柄が表現される。
年を重ねてから読めば、若い頃全く読み取れなかった文意が自然とわかるようになるものだが、しかし、今回はお手上げだ。それが証拠にここに感想を述べようとしても、登場人物の固有名詞一つでてこない。
そこをなんとか捻り出すと…
ラスコーニフにソフィア、ラズミーヒン、それに欠かすことが出来ないのが、判事ペトローヴィチといったところか。
友も金もなく狂気と紙一重の苦境の中で、彼固有の思想「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という理論を元に強欲な金貸しの老婆を殺害したのが、ラスコーニコフ。
彼が罪の意識の中で惹かれていく、いや、救いを求めていく娼婦ソフィア。
お人よしというか、自己陶酔型で、彼の罪を察しながらも何かれなくラスコーニコフの世話をするラズミーヒン。
そして物語の終盤からラスコーニコフを追い詰めていくペトローヴィチ。
何とかこれだけ出てきた。
ところが、私が印象に残ったのは、ソフィアの義理の母、カテリーナ・イワーノヴィナだったりする。飲んだ暮れの夫の葬儀の直後、下宿屋のおかみにののしられ、自分やソフィアの身の潔白を証明しようと「真実を求めて」外へ飛び出していくのだが、ああ、私みたい、なんて思ったりして・・・ でも、私は決して落ちぶれたりしない。
学生だったら、Cレベルの感想をダラダラと述べてしまったが、結局、私は「罪と罰」の表面上読むことは出来たが、感銘は受けなかった、ということで、駄文おしまい。
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